sea moon

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~女ひとりでインド・ネパール旅~

私が英語を学びたい理由

 
「英語が話せなくても、旅ってできるの?」
 
...という問いに、多くの旅人はこう答える。
 
「英語が話せなくても旅はできる。だけど、英語が話せた方がもっと楽しい」
 
 
ふ~ん、そんなものか...と思っていたのだけど。
 
旅に出て、私もそれを強く実感している。
 
 
英語が話せなくても旅はできる。
 
飲食店に行けば、「何か食べたいのだろう」という事は伝わる。
宿に行けば、「泊まりたいのだろう」という事は伝わる。
バス停に行けば、「何処かに行きたいのだろう」という事は伝わる。
 
何も、一から十まで言語で説明する必要はない。
旅に必要な最低限のフレーズだけ覚えておけば旅はできる。
旅をしているうちに、自分に必要なフレーズは何なのかという事がおのずとわかってくる。
そしてそれを覚える基礎学力くらいは、日本人なら誰もが身についている。
 
そもそも、旅への期待の中に「人との出会い」はなかった。
だから、旅に必要な最低限のコミュニケーション能力さえあれば事足りるのだ。
 
 
私は、英語が「全く」話せないと思っていた。
「ありがとう」と「ごめんなさい」くらいしか言えないんじゃないの?と思うレベルだ。
 
だけど、コミュニケーション手段が英語しかない環境に置かれて、「意外に何とかなる」という事を実感した。
必要に迫られれば、今まで封印されていた数々の英語フレーズが、おのずと呼び出されてくるのだ。
 
「何だ、私ってば意外に英語話せるんじゃん♪」とまで思った。
 
そんな風に己惚れてしまうくらい、私程度の英語力でも旅は可能なのだ。
 
 
そんな私の考えを180度変えてしまったのが、他でもないあのヒマラヤトレッキングだった。
 
最初は、下界にいた時と同じだ。
むしろ、より己惚れに拍車がかかっていた様に思う。
 
トレッキングを開始すると、下界にいた時より多くの人と接する事になる。
宿泊や食事などの必要最低限の事だけではなく、ローカルや他のトレッカーとのコミュニケーションの機会が増えるのだ。
 
「次の町までは、あとどれくらい?」
「〇〇へはこの道で合っている?」
 
「ハローどこから来たの?」
「え!一人なの?」
「どういうルートで考えているの?」
「今日はどこまで行くの?」
 
トレッキング2日目に、私は行きずりのネパール人をポーターとして雇った。
「英語でそんな交渉ができるレベルなんだ」と己惚れた。(結果ちょっと食い違いはあったけど)
 
トレッキング3日目の夜、一緒になったオランダ人親子と食卓を囲んだ。
英語で「雑談」なんかしちゃってる自分がいた。
しかも「談笑」までしちゃってるよ私、と己惚れた。
 
トレッキング6日目の夜、私はダイニングで他のトレッカーたちと交流を持った。
みんなでトランプをしている輪に入れてもらった。
全く知らないゲームなのに、何となく理解して2戦2勝という大挙だ。
「輪」の中で楽しく過ごしちゃってるよ私、と己惚れた。
 
元々のレベルが低いもんだから、己惚れの連続。
 
それに旅の過程で、私の英語力は実際に向上もしていたんだと思う。
 
 
だけどトレッキングを続けているうちに、己惚れ女は気がついていく。
 
私が彼等となんとなくコミュニケーションを取れている気になれるのも、
相手が私の英語力に「合わせて」話してくれているからだ。
 
私が理解できない時は、違うフレーズに言い換えて伝えようとしてくれる。
私にも理解できるような、簡単な言葉を使ってくれる。
ゆっくり、はっきりと話してくれる。
 
私が何かを発言してうまく伝わらないとき、私はそれを言うのを諦める。
だけど多くの人は、「うん、聞くよ。もう一度言って!」と私の拙い言葉を必死で聞き取ろうとしてくれる。
 
全て、相手の協力があってこそ成り立つコミュニケーションだった。
 
「伝えようという気持ち」「聞き取ろうという態度」
これなしには、私は誰ともコミュニケーションなんて取れない。
 
 
多くの人が、私を励ましてくれた。
多くの人が、私を助けてくれた。
 
私はとても感謝をしているのに、「Thank you」という定型フレーズしか知らない。
精々「very much」を付け足す事くらいしかできない。
 
逆に励ます事もできないし、困っている人を助ける為のフレーズも知らない。
 
 
何かを聞かれて答えた時、逆に聞き返すことを躊躇った。
こちらから聞いておいて答えが聞き取れなかったら、失礼だと思うから。
 
 
たくさんの素晴らしい人に出会った。
「これについて尋ねてみたい」と思うのに、言葉が出ない。
 
「友達になりたい」と思う人もいた。
だけど言葉の壁に阻まれて、「知り合い以上、友達未満」の関係になるので精一杯。
 
「仲間意識」を感じる事もあった。
だけどその関係を、未来に繋ぐのは難しかった。
 
 
「英語って凄い」と、物凄く実感した。
 
そこには世界中から多くの人が集まっていて、みんな英語が母国語ではない人がほとんどだ。
それなのに、「英語」という共通の言語を使って問題なくコミュニケーションを取っている。
 
異なる言語の世界で生きる人々を繋ぐ、「最強のコミュニケーションツールだ」と思った。
 
凄い。凄いよ英語って。
 
「世界には英語が母国語ではない人の方が多いんだよ」なんて、英語を軽視していた部分もあった。
だけど、いやだからこそ凄いんだよ英語は。そんな人々を「繋いで」しまうんだから。
 
「英語」が世界中の人々を繋いでいくその素晴らしい光景を、私は忘れられない。
 
 
ネパールのルンビニで出会った「上人」に言われた。
大切なのは「言語」ではなく、「振る舞い」だと。
 
開国後に多くの武士が留学をした。
彼等は英語なんて話せなかったけど、それでも現地で敬意を示された。
それは何故か。
彼等の佇まいが、とても立派だったからだ。
 
 
英語は「素晴らしいコミュニケーションツール」と思うけど、
今は「最強」とまでは思っていない。
 
「伝えようと思う心」と「理解しようと思う心」と。
その相手を見つめる「心」こそが、最強のコミュニケーションツールだと思う。
 
そう、ヒマラヤで多くの人が私にそうしてくれた様に。
 
 
その上で、私は英語を学びたい。
 
「世界中の人とコミュニケーションが取りたい」と、望んでしまったから。